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【今夜は月例ワイン会】3 次も白でaiaisarusaru様から ドメーヌ・デュジャック モレ・サン・ドニ・ブラン2016 なかなか飲めなくなったデュジャックのドメーヌ物(^_^) しかも10年近く熟成したモレ・サン・ドニの白(^_^) こちらも近年は値上がりしてかなりお高くなっています。 しかし、aiaisarusaru様はデュジャックの赤が飲みたくて赤を持ってきたつもりが、気がついたら白だったとのこと。 赤も白もあるアペラシオンあるあるですが、デュジャックのちょい熟赤も久しぶりに飲んでみたかった気がします(笑) エチケットには赤か白かは書いてありませんし、色付きのボトルを見ても分かりにくいですが、キャップシールの色でわかる(赤は赤い、白は白いキャップシール)とのことなので、次回はお間違えのないようにお願いいたします(笑) 【追記】 過去ポストを拝見していたらEiki様も同じことをされていたのを思い出しました(笑) 先のペルナンに比べるとやや薄めに見えるペールイエローの色合い。 最初は冷えていたこともあってか、酸のレベルがとても高く溌剌として感られじる香味で若々しく、一瞬ペルナンの香味に近いようにも思いましたが、それは錯覚のようです。 温度が上がってくると熟成したシャルドネのニュアンスですが、わかりやすい華やかさ、甘やかさになりそうもないミネラルはやはりボーヌの白とは違うニュイの白で、「ベクトルが全然違う」(aiaisarusaru様)、面白い飲み比べになりました(^_^) ご馳走様でした。 【ショップ情報】 モレ・サン・ドニを代表する大ドメーヌとして勇名を馳せるドメーヌ・デュジャック。しかし、その歴史はわずか45年に過ぎない。 創設者のジャック・セイスはベルギー出身で、ドメーヌ創設の前に2ヴィンテージをブルゴーニュで過ごし、ジェラール・ポテルの元、ドメーヌ・プス・ドールでワイン造りを学んだ。 その間に、DRCのオベール・ド・ヴィレーヌやアルマン・ルソーのシャルル・ルソーらと親交を深めている。 そして1968年に4.5haのドメーヌ・グライエを買い取り、自らの名前、ジャックをもじってドメーヌ・デュジャックと名付けたのだ。 現在はジャックの息子、ジェレミーとアレックがそれぞれ醸造と販売を担当し、ドメーヌを実質的に引き継いでいる。 ジャックの妻もジェレミーの妻もアメリカ人で、ジェレミー夫人ダイアナは醸造学を修めたエノローグである。 2000年にジェレミーは父のサポートの元、ネゴシアンビジネスを開始。その名も「デュジャック・フィス・エ・ペール」という。 会社名として「ペール・エ・フィス」(父子)という表記はよく見かけるが、「フィス・エ・ペール」(子父)は珍しい。 中心となるのが息子であることの証である。 このデュジャック・フィス・エ・ペールは、ネゴシアンといっても単に畑が自分たちが所有していないだけ。畑の管理や手入れ、ブドウの収穫までドメーヌのスタッフが行う。 ブドウの購入契約は量に応じてではなく面積単位。したがって収量制限も思い通りとなる。したがって、実質的にはドメーヌものと変わらないものの、ドメーヌとネゴスで重複するアペラシオン(例えば村名モレ・サン・ドニ)があってもそれぞれ別々に醸造、瓶詰めされる。 ドメーヌはコート・ド・ニュイでは珍しい白ワインの造り手でもある。1985年の霜害で村名モレ・サン・ドニの一部が枯死したのを機会にシャルドネを植え、モレ・サン・ドニ・ブランとしてリリースしたのが始まり。 さらにはモレ・サン・ドニ1級モン・リュイザンに入手した0.6haの畑にもシャルドネを植え、2000年から白ワインを送り出している。 ジャック時代のワイン造りは完全無除梗による全房醸造がこのドメーヌの特徴であり、梗が色素を吸収するためワインの色調は比較的淡く、しかしながら香りと味わいはしっかりしているというものだった。 ジェレミーになってからはヴィンテージに応じて除梗率を変え、以前よりも色合いはしっかり、果実味も充実したものとなっている。
chambertin89
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【今夜は月例ワイン会】3 次も白でaiaisarusaru様から ドメーヌ・デュジャック モレ・サン・ドニ・ブラン2016 なかなか飲めなくなったデュジャックのドメーヌ物(^_^) しかも10年近く熟成したモレ・サン・ドニの白(^_^) こちらも近年は値上がりしてかなりお高くなっています。 しかし、aiaisarusaru様はデュジャックの赤が飲みたくて赤を持ってきたつもりが、気がついたら白だったとのこと。 赤も白もあるアペラシオンあるあるですが、デュジャックのちょい熟赤も久しぶりに飲んでみたかった気がします(笑) エチケットには赤か白かは書いてありませんし、色付きのボトルを見ても分かりにくいですが、キャップシールの色でわかる(赤は赤い、白は白いキャップシール)とのことなので、次回はお間違えのないようにお願いいたします(笑) 【追記】 過去ポストを拝見していたらEiki様も同じことをされていたのを思い出しました(笑) 先のペルナンに比べるとやや薄めに見えるペールイエローの色合い。 最初は冷えていたこともあってか、酸のレベルがとても高く溌剌として感られじる香味で若々しく、一瞬ペルナンの香味に近いようにも思いましたが、それは錯覚のようです。 温度が上がってくると熟成したシャルドネのニュアンスですが、わかりやすい華やかさ、甘やかさになりそうもないミネラルはやはりボーヌの白とは違うニュイの白で、「ベクトルが全然違う」(aiaisarusaru様)、面白い飲み比べになりました(^_^) ご馳走様でした。 【ショップ情報】 モレ・サン・ドニを代表する大ドメーヌとして勇名を馳せるドメーヌ・デュジャック。しかし、その歴史はわずか45年に過ぎない。 創設者のジャック・セイスはベルギー出身で、ドメーヌ創設の前に2ヴィンテージをブルゴーニュで過ごし、ジェラール・ポテルの元、ドメーヌ・プス・ドールでワイン造りを学んだ。 その間に、DRCのオベール・ド・ヴィレーヌやアルマン・ルソーのシャルル・ルソーらと親交を深めている。 そして1968年に4.5haのドメーヌ・グライエを買い取り、自らの名前、ジャックをもじってドメーヌ・デュジャックと名付けたのだ。 現在はジャックの息子、ジェレミーとアレックがそれぞれ醸造と販売を担当し、ドメーヌを実質的に引き継いでいる。 ジャックの妻もジェレミーの妻もアメリカ人で、ジェレミー夫人ダイアナは醸造学を修めたエノローグである。 2000年にジェレミーは父のサポートの元、ネゴシアンビジネスを開始。その名も「デュジャック・フィス・エ・ペール」という。 会社名として「ペール・エ・フィス」(父子)という表記はよく見かけるが、「フィス・エ・ペール」(子父)は珍しい。 中心となるのが息子であることの証である。 このデュジャック・フィス・エ・ペールは、ネゴシアンといっても単に畑が自分たちが所有していないだけ。畑の管理や手入れ、ブドウの収穫までドメーヌのスタッフが行う。 ブドウの購入契約は量に応じてではなく面積単位。したがって収量制限も思い通りとなる。したがって、実質的にはドメーヌものと変わらないものの、ドメーヌとネゴスで重複するアペラシオン(例えば村名モレ・サン・ドニ)があってもそれぞれ別々に醸造、瓶詰めされる。 ドメーヌはコート・ド・ニュイでは珍しい白ワインの造り手でもある。1985年の霜害で村名モレ・サン・ドニの一部が枯死したのを機会にシャルドネを植え、モレ・サン・ドニ・ブランとしてリリースしたのが始まり。 さらにはモレ・サン・ドニ1級モン・リュイザンに入手した0.6haの畑にもシャルドネを植え、2000年から白ワインを送り出している。 ジャック時代のワイン造りは完全無除梗による全房醸造がこのドメーヌの特徴であり、梗が色素を吸収するためワインの色調は比較的淡く、しかしながら香りと味わいはしっかりしているというものだった。 ジェレミーになってからはヴィンテージに応じて除梗率を変え、以前よりも色合いはしっかり、果実味も充実したものとなっている。
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